恋は感性が磨かれる

ときめいているうちに結婚して、ときめきを略愛情にうまくスイッチしていきましょうという提言もできるが、始まった恋を長く続けたいなら、意識してお互いときめく瞬間をたくさん作り出す努力をするべきなのかもしれない。


逆を言えば、恋愛はときめきやすい体質の、感性ある男を選んでやらなきゃ、たぶんつまらない。

 
結婚して10年たってもまだお互いときめいているような男女は、決まって両者とも感性豊か。


つまり、本当の意味で幸せな恋愛をしたいなら、自らが感性をフルにまわして、ときめきを取りに行くぐらいじゃなきゃダメなのだ。


ある意味、恋に恋していて恋を自ら盛りあげる。


それが恋愛上手の秘訣なんだそうです。


また、女性は脱毛に行ったり、美容室で髪の毛を整えたり、これも新鮮さを生み出す方法の一つと言えるでしょう。

恋する女は幸せ

恋する女が幸せなのは、ときめきで胸をパンパンにしているからなのだ。


ある女性が彼氏にふられた時、「なんでダメなの?」と訊いたら、男は少し考えたのち、「ごめん、要するにときめかなくなったんだ」と言ったといいます。


男がそういう表現を使うとは意外だが、冷めてしまった理由を考えたら、結局そこに行き着いてしまうのかもしれない。


そして、どちらかに"ときめき"がなくなった時、恋愛には大なり小なり悲劇が起こる。


しかも、相手がときめかなくなったことを責めることは、誰にもできないのです。


ときめきが薄れないように・・・脱毛に勤しみ、ダイエットを頑張る女性たち。


健気ですよね。

自分のお手入れ法に酔うのはNG?

化粧品ばかりを見ている目、感触だけを確かめている指。


お手入れの仕方ばかりをチェックしている鏡。


そう、この人は、自分の肌を見ているつもりで見ていない。


自分の肌を触っているつもりで肌質を感じていない。


化粧品に夢中、自分のお手入れ法に酔っています。


それだけでは肌はキレイにならないことに気づいていない人なのです。


肌は毎日くるくる変わる。


こうしたら肌が明るくなったとか、肌のハリが出たとか、肌のどんな小さな変化も見逃さないことが何よりも大切なのに、化粧品を持ってることで、それを使うことで、すっかり満足してしまう、そういう人が今、とっても増えています。


脱毛も同じ。意識を持って通うと効果の出方が変わるそうです。

美容中毒

化粧品が大好きで、お手入れも大好きなのに、あまりキレイになれない人がいます。


その一方で、肌が目立ってキレイな人が「化粧品にもあんまり興味ないし、お手入れもすっごくテキトー」なんて、ヌケヌケ言ってしまうことは、意外なほど多い。


昔からそうだったのかもしれないが、ここ何年かでその傾向は一層強くなった気もする。


化粧品に、めっぽう詳しい。


お手入れも毎日一生懸命、前向きにやっています。


効き目も信じています。


なのに、あんまり"成果"が見られない人がいた。


この人のお手入れシーンをのぞくと、ともかくていねい。


文句がつけられない。


じゃあ一体なぜ?しかしハタから見ただけではわからない重大な間違いがこの人にはあった。


あ、でも脱毛には効果あったみたいですが。


ブス自慢の女たち

誰もその人をブスと言っていないのに、自分はブスだもんと言い張るようなブス自慢の女たち。


美人でないなら、いっそ半端な女をやるのはやめて、ブスという個性を売りものに自分を表現しようとする、潔くたくましく、そしておもしろい脱毛女たちが、何やらすごいパワーを発しているのです。


考えてみれば、略ブス。


っていう言葉、妙にカワイイ。


辞典を引けば醜女の俗語。


しかしブスという音の響きは何ともキュート。


ブスは醜女から独立して、別の生き物、別の個性としての生命と魅力をもち始めています。

美人じゃないけど、カワイイ

キャメロン・ディアスを最初に見た時、あなたは何と思っただろうか?たぶん「美人じゃないけど、カワイイじゃない?」くらいに思ったはずだ。


ところが今キャメロン・ディアスは押しも押されもせぬ"大美人"「メリーに首ったけ」でメチャモテの美人の役を演ったからです。


誰かが美人と言えば、もう美人。脱毛していてもしていなくても美人。


ビミョーな美人も全員美人・・・・・美人の定義が、いよいよ無限の広がりを見せています。


ここ10年、"キレイになりたい願望"が日本に充満し、その結果、美人の人口は一気に増えました。


美人が珍しくなくなれば、必ず来ると思われていた新勢力が、じつは早くも来つつあります。


それは、ブスを逆手に取る女たちです。

婦人の化粧

19世紀のはじめの、美容、脱毛、スキンケアと、当時の美についての理想とを、できるだけ正確に描きだしてみるために、カロン博士という医師が書いた、小さな本をひらいてみることにしよう。


この木は『婦人の化粧、または美の百科全書』という題で、1806年に出版されたものであって、それをみると、いろいろなことが、はっきりわかるのです。


この本の最初で、まず著者カロンは、どういう人々のために書いたかを、はっきりさせ、じぷんは、「愛すべき女性たちのために」書くのであると言っています。

一年間に買った化粧品

モンブルトン夫人が、一年間に買った化粧品をみてみようと思います。


手袋、香水類、ベルガモット油、蜂蜜、オランダ水仙のエキス、ばらクリームの壷、ナポリ石鹸、などといったものです。


ウビガンの居に保存されている送り状によると、金額はぜんぶで、178リーヴルにのぼっています。


ついでに、ひじように古くからあるスキンケア、脱毛クリームなどの化粧物が、この頃になってまた使われだしたということを書きたしておきたいと思います。


大革命は、あきらかに、何世紀もまえから使われている化粧晶の原料というものには、手をつけることができなかったというわけです。


大革命の結果ほろびた流行といえば、あの18世紀の赤と白に塗りたくった、マスクのような顔だけです。


けれども、輩命は、不幸なことに、洗練された化粧品のいれものを、それをつくっていた職人といっしょにほろぼしてしまったのでした。

オー・ド・コロンの流行

オー・ド・コロンは、比較的近代になってから発明されたもので、ナポレオンは、それを浴びるように使いました。


彼は、少なくとも、男たちが香水をつけることは、あまり好まなかったのです。


大草命時代の将軍たちもまた、ルイ十五世時代の廷臣たちのように、髪粉をふったり香水をつけたりはしなかったのです。


大革命は、厚化粧や輪骨をいれた衣服や、かつらなどを追放しました。


すくなくとも、それは、1785年頃にすでにはじまっていた、服装の変化に拍寧をかけるのです。


が、女性の美のラインが単純になったということはけっして、女性が、スキンケアや脱毛、美容をやめたり、それにまえよりも少ない時間と金しかかけなくなったということを意味してはいません。

あいかわらず愛された香水

ナポレオンの皇后ジョゼフィーヌ・ド・ボーアルネは、故郷,西インド諸島の、強い香水の趣味をいつまでももちつづけていて、《じゃ香気狂い》というあだ名をつけられるのでした。


このように、香水は、あいかわらず愛されてはいたが、清潔さは、まもられるようになっていたということに注意しなければならない。


少なくとも、安楽な階級の人々は、からだを洗うことが、ふたたび習慣になったのです。


匂いをつけた石鹸が流行します。


ムダ毛脱毛にもばらの香りのするサルタン石鹸とか、ヴァニラの香りの石鹸など。


一方、皇帝ナポレオン・ボナパルトは、おおいにオー・ド・コロンを流行させました。

香水業者

熱月の反革命から、執政官時代になると、香水業者たちは、新しいお客をみつけだします。


粋な王政主義者たちは、香料水の香りをぷんぷんさせることが、ごじまんだったのではないでしょうかか。


執政官時代のだて女たちは、うすい衣服をまとったムダ毛が脱毛されたあらわな肌に、高価な香水をふりかけています。


だて女の代表として右名な才女タリヤン夫人は、「オランダいちごや、木いちごの風呂にはいって、牛乳と香水に浸した海綿を使っている」と、ポール・サントナックは語っています。


優雅な婦人たちは、ふたたびかつらをかぶるようになるが、かつらは絹でつくられます。

できるだけ自然にふるまう女性

18世紀時代の、機知にあふれ、厚く紅・おしろいを塗り、髪には髪粉をふり、にっこりほほ笑んでいる〈堂々とした〉婦人のかわりに、顔色は蒼白く、髪をほどいた、おずおずとして、できるだけ自然にふるまう女性が、そのあとをひきつぎます。


こういった風俗の革命は、まず、多くの香料製、造業者をほろぼしてしまいました。


厳格にみせることが流行なのです。


髪に髪粉をふることはやめになり、かつらをつけることもなくなりました。


ただし、大きな例外として、輩命のたて役者ロベスピエールのように、かつらをかぶっている人物も、いるにはいたことを忘れないようにしましょう。


ムダ毛処理の脱毛クリーム、香料水は、あいかわらず売られていたが、時代の好みにあわせた名まえがつけられていました。


《ギロチンの精》だの、《サン・ボン・ア・ラ・サンソン》など、これは、趣味の悪いごろ合わせです。

社会の革命

フランス大革命は、社会の革命であり、それが、さらにふかく、長くつづいたという意味では、風俗の草命でもあった。


われわれがいま問題にしているスキンケア、脱毛、お化粧というたちばからみれば、それは、一つの生活様式が、その美の基準とともにほろび去ったということです。


18世紀中ごろの肖像画家ナチエの描いた婦人の像と、ナポレオン時代の代表的歴史画家ジェラールや、宮廷画家イザベーの描いた婦人の肖像・をずっとみくらべてゆくと、まさしく回つの輩命があったことがわかる。

生まれつきのシルヴァー・ブロンド

マリーアントワネットが、生まれつきのシルヴァー・ブロンドであったために、褐色の髪は、また愛されなくなりました。


彼女はまた、どぎつい香水のかわりに、ほのかな香りを流行させ、まっ赤な紅をやめさせました。


ムダ毛の脱毛は相変わらずで、顔色の蒼白さは、ふたたび高貴な血筋の証拠となります。


昔はいやしまれた赤毛の髪がはやりだす。


香料商たちは、ブロンドや、赤毛の髪粉をつくりはじめるが、これはたぶん、一時大草命の前夜に流行した、英国趣味のせいでしょう。

素朴さを愛した女性

素朴さを愛するマリヤ・テレサに育てられ、今日からみれば、ヴェルサイユの宮殿よりもはっきりと変なきどりのすくないオーストリヤの宮廷でくらした彼女は、フランスに、ドイツ的な感情へのあこがれをもちこんだのでした。


たしかに、マリー"アントワネットは、その身分のために、公式な装いをしていなければならず、宮廷に手本をしめすこともできなければ、最後まで、丈の高い髪型をしていなければならなかったのです。


けれども、あれほどたたえられた彼女の明かるい顔色は、スキンケアをし、脱毛をし、厚化粧をすたれさせるのに、大きなカがあったことでしょう。

善意をたたえた時代

ジャン・ジャック・ルソーが、自然と、そして人間のうちにある、すべての自然的なものの善意を、たたえた時代でした。


文学にも、オペラにも、牧歌的な詩情があふれ出し、イタリヤでの考古学上の発見の結果、ふたたび古代がたたえられるようになります。


こうした雰川気すべては、過度なお化粧に、直接反対するものであり、芸術家も、人間批評家も、医者たちも、しだいしだいに反旗をひるがえすようになっていきました。


しかも、18世紀の終りに、医学は大きな進歩をとけたので、医者たちの言葉は、まえよりも注意ぶかくきかれるようになっていたのです。


この、スキンケア、脱毛、お化粧の〈白然への復帰〉は、たぶん、一部は、ルイ十六世の王妃マリー閥アントワネットの個人的な影響によるものでしょう。

うわべだけのお上品

ヴィクトリヤ朝のうわべだけのお上品の精神は、ヴィクトリヤ女王があらわれる以前からはじまっていたのであって、それが猛威をふるっていたのは、イギリスだけではなかったのです。


第一統領ナボレォン・ボナパルトこそ、たぶん、こうした大偽善者の最初の人間でしょう。


カロン博士のいう、〈愛すべき女性たち〉とは、つぎのような女性のことです。


「やさしく美しく、自然のすなおな恋人であるような女性たち・・・。やさしい結合の魅力に敏感であるような、魅惑的な女性たちよ、なぜならあなたたちの心は、ここちよい感情にたいしてしかひらかれないものなのであるから、愛されるようつとめなさい。なぜなら、あなたたちは愛しているのだから。よりながく、あなたの愛の忠実な和手に好かれるように、もっと美しくなるようにつとめなさい。」


これはつまり、こういうふうに言いかえられるでしょう。


この木は、若くてたっぷりひまがあり、あらゆる面でつこうのよい結婚をし、とくに、金の心配などまったくない、スキンケア、脱毛、化粧三昧の女性のために書かれているのだ、と。

愛すべき女性

愛すべき女性のなかにはいらない女性というのは、まず、貞淑ぶった女と、厳格な女性です。


そういう女性たちにとっては、お化粧や美顔料は、あまりにもみえすいた駈であるし、彼女たちは、じつは「行ないだけをお化粧しようとしているのである」。


おなじように、賭けごとにむちゅうになっている女や、女学者なども、そのなかには入っていない。


また堕落した女性にも読んでもらいたくないといっています。


なぜなら顔、というものは、われわれの心をゆする感情のあらわれです。罪人の顔は、スキンケアも脱毛もしていない、汚らしいし、完全な美は、罪とともには存在しないからだというのです。


こうしたカロンの文章を読むと、ブルジヨワパリサイすでに市民階級の道徳と、19世紀社会の大きな特徴である形式的偽善主義というものが、顔をだしているのに気がつくでしょう。

衣服は軽い布が流行に

衣服は、軽い布でつくられることが多く、髪型もずっと単純になって、髪粉はなくなり、イギリス風の大きな暢子の下に、屑までほどいた巻髪をたらすようになります。


当時の、有名な女流肖像面家ヴィジェ"ルブラン夫人は、その『回想録』の中で、こういったモードをつくり出したのは、じぶんの功績であると言っています。


というのは、彼女は、一七八五年の展覧会のために、〈ぶどうをとり入れる女〉姿の、美しいグラモン"カドルス公爵夫人の肖糠棄描き、そのときに、スキンケア、脱毛、髪粉をつけていない夫人を描く許可を得たのでした。


「公爵夫人は、漆黒の髪をしていました。わたしは、その髪を分けて、額のうえに乱れたカールができるようにしました。ポーズをしたあと、夫人はそのまま劇場に行った。こういう美しい女性は、もちろん人々の手木になって、この流行が少しずつ、そしてやがてどっとひろまっていったのである」


というのです。こういった姿が流行した第一の理由は、当時の、趣味ぜんたいというものがそちらの方向に変っていたからです。

赤い色

赤い色こそは、少女時代から、この社会的劇の最後のときまで、婦人たちがスキンケア、脱毛、化粧をした顔につけているマスクなのです。


けれども、このことについては、まだまだいろいろと、研究されなければならないでしょう。


マリーアントワネット時代のお化粧の変化ルイ十六世の時代になって、お化粧の趣喋と習慣とは大きくかわり、もう一度、より単純なものに帰っていきます。


輪骨入りのペチコートだとか、鯨の骨を入れた、胸まであるようなコルセットなどの流行はすたれます。


かたい、湾曲したラインのかわりに、もっとやわらかいシルエットがよろこばれるようになります。

女性たちのかよわい健康

摂政オルレアン公フィリップと、ルイ十五世は、この点、ルイ十四世のやり方を、そのままひきついだ。


この二人は、病的なまでに快楽を愛して、おそばの化粧、スキンケア、脱毛で忙しい婦人たちに、地獄のような生活をおしつけました。


病気ということは、老衰の最初のあらわれであり、宮廷で生きていこうとする女性たちが、死ぬほどおそれていたことです。


宴会つづきの生活は、女性たちのかよわい健康を、急速に害していきました。


ルイ十五世の愛人の一人である、シャトルー公爵夫人は、王の寵愛を一身に集めながら、二十七歳でとつぜんに若か死にしました。


あの、ポンパドゥール夫人も、王にたいする力をまもるために、一生、狂おしいまでの努力をつづけたあげく、疲れはてて、四十歳で死んでしまいました。


こうしたことすべては、ある意味で、なぜ烈しい赤色が使われたかということを、説明してはいないでしょうか。

ストイシズムを強制

昔の美容も面白い^^


18世紀の頃もスキンケア、脱毛、化粧が盛んでした。


18世紀の女性たちは、顔色がもっと悪いのがふつうだったにちがいない、これが、あれほど赤が使われるようになった、おそらく、一つの理由であろうとおもわれます。


まえにも言ったように、たべものが、全体的に、以前よりも、油っこいからだが温まるものでなくなっていたということを考えあわせれば、蘭色は、なおさら悪かったものとおもわれる。


とくに宮廷では、ほかの場所以上に、じぶんが不健康であることをひとにみせてはならなかったのです。


この点については、ルイ十四世は、おそばにいる人々に、一種のストイシズムを強制したのです。


疲れているとか、夜眠らなかったというようなことは、かくされねばならなかったのです。